民俗学者と旅:週末図書館のオープンに寄せて(岡本マサヒロ)
 
 日常の生活から離れてどこか遠くに行ってみたい。私たちは旅に対する憧憬の気持ちをどこかにもちながら日々を過ごしている。あんな生活は大変だと言いながらもフーテンの寅さんのような生き方をうらやましく思ったりもする。そうした心境は何に根ざしているのだろうか。
 
 生涯にわたって旅をし続けた民俗学者に宮本常一がいる。宮本の師であった渋沢敬三は、日本列島の白地図の上に宮本の足跡を赤インクでたらしていくと日本列島は真っ赤になると評した。宮本は七三年の生涯に地球四週に匹敵する十六万キロをよれよれのズック靴で歩き続けた旅の人である。宮本と親交のあった高田宏は、宮本を超える旅行者はもう絶対に現れないだろうとも言う(佐野、一九九六)。
 旅と人生を考えるにあたり、まずは宮本常一の著作をひもといてみよう。そこには山の道、川の道などを移動しながら生きてきた数々の旅の人が登場する。国境の存在を無視し世界に飛び出す漁民の姿も描かれている。宮本は自ら旅をしながら非定住の人びとに温かな眼差しを向け続けた人である。
 宮本の『民俗学の旅』には、宮本が郷里を出るときに父親からの教えが記されているが、これは私たちが旅に出るときにも参考になる。以下、抜粋してみよう。
 
一、汽車の窓から外をよく見よ。
二、村でも町でも 新しくたずねていったところはかならず高いところへ上って見よ。
三、金があったら、その土地の名物や料理はたべておくのがよい。
四、時間のゆとりがあったら、できるだけ歩いてみることだ。いろいろのことを教えられる。
五、人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大事なことがあるはずだ。
 
 日本の民俗学を立ち上げた柳田國男も多くの旅をしてきた。ここでは柳田の『青年と学問』(柳田、一九七六)をひもといてみよう。自らつくった鳥かごの中から羽ばたきをして飛び出す練習をしようと、柳田は私たちに旅に出ることをすすめている。普段当たり前に思えて気づかぬことが旅に出て距離を置くことによって初めて見えてくるのだという。 
 柳田の最後の著作が『海上の道』(柳田、一九六一)であることに私たちは注意を向けたい。日本人がどこから来たのかという問いは、柳田が若い頃からもっていたテーマであり、それは遠い南の島から流れ着いた椰子の実を伊良湖岬で見つけたことを端緒としている(島崎藤村の詩『椰子の実』はこのエピソードをもとにしてつくられた)。柳田は南の島に漂着した人びとがタカラガイという美しい貝を追い求めながら日本列島に到達したという仮説を展開する。それは日本人の最初の旅であるといえるかもしれない。
 
 折口信夫もまた旅の人であった。日本各地を歩き、そして古典の知識に裏付けられた独特のインスピレーションをもって旅で得た着想を深めていくスタイルの民俗学者であった。
折口の旅は苦難の旅でもあった。進むべき道を失い山中で遭難しかけて野宿をしたり、旅費がなくなり地蔵さんから賽銭を失敬したりしたこともあったという。こうした経験があったからこそ、苦しい思いをしながら各地を遍歴する人びとに強い共感の気持ちを持ち続けることができたのである。
 折口の「まれびと」の概念は、こうした自身の旅の経験から生またとみてよい。特に折口の数度にわたる沖縄旅行が重要な契機になっている。石垣島の盆行事で仮面の来訪者アンガマと出会ったことが「まれびと」の発想を決定的なものとしたという。私たちはその結晶を「国文学の発生(第三稿)」(折口、一九六五)に見ることができる。
遠い世界からやって来たアンガマは村人に祝福の言葉を唱える。「まれびと」であるアンガマと村人とのかけあいが文学の発生であるとの独創的な結論を折口は導き出すのである。折口の旅の足跡については『折口信夫とその古代学』(西村、一九九九)や『写真で辿る折口信夫の古代』(芳賀、二〇一七)が有効な手引きとなる。
 
日本の各地を旅する放浪芸人を追いかけて貴重な記録を残したのは小沢昭一である。小沢は役者であるが、民俗学的な仕事もいっぱいしている。その集大成はレコード「日本の放浪芸」としてまとめられているが、ここでは小沢が発行した『季刊 藝能東西』をとりあげよう。一九七七発行の寒牡丹号は「サーカス大特集」である。私たちはそこに旅の空に生きる芸人の喜びと悲哀とを感じずにはいられない。それは旅の人につきまとう光と影でもある。
最後にサーカスつながりで南方熊楠の旅にも触れおこう(神坂、一九八七)。大学での試験に落第した熊楠は二十歳でアメリカに渡り、サーカス団の一員として中南米を旅した。その後イギリスに渡って大英博物館に受け入れられ、数多くの論考をネイチャー誌に寄稿する。そして日本に戻ってからは熊野に籠り日本で初めて自然保護運動を展開した。生涯にわたり在野にあった知の巨人の旅は私たちに勇気を与えてくれる。
 
いよいよ週末図書館がオープンする。最初のテーマは「旅と冒険」である。この図書館に来た人たちが本を手に取り、そして旅や冒険に出て行くようになったらうれしく思う。
 
 《参考文献》佐野眞一『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』(一九九六、文芸春秋)/宮本常一『民俗学の旅』(一九九三、講談社学術文庫)/柳田國男『青年と学問』(一九七六、岩波文庫)/柳田國男『海上の道』(一九六一、筑摩書房)/折口信夫「国文学の発生(第三稿)」『折口信夫全集〈第一巻〉古代研究 国文学篇』(一九六五、中央公論社)/西村亨『折口信夫とその古代学』(一九九九、中央公論社)/芳賀日出男『写真で辿る折口信夫の古代』(二〇一七、角川ソフィア文庫)/『季刊藝能東西』(一九七七、新しい芸能研究室)/神坂次郎『『縛られた巨人 南方熊楠の生涯』』(一九八七,新潮社)