「旅と人生」~選書を終えて(岡本マサヒロ)

 

 現代に生きる私たちは「旅」というと、まず観光旅行のような「旅」をイメージする。江戸時代にも物見遊山的な旅はなかったわけではないが、庶民には高値の花であった。書棚を眺めてみて気づくと思うが、今回の選書では観光旅行をテーマとした本は多くはない。 
 まず注目してほしいのが写真集『瞽女』(橋本、一九七四)である。歌をうたいながら旅をする盲目の女性らの姿がそこにある。目が見えないというハンディキャップを背負い、自力で生きていくために、彼女らは瞽女にならざるを得なかった。写真集には彼女らを迎え入れる側の村の人びとの姿も写っている。村の人たちは門付けをしてもらった礼にお米やお金を瞽女に与える。社会福祉の制度が整う以前、私たちはこのような豊かな文化をもっていたのである。 障害者施設から何度も脱走して放浪の旅を続けた山下清の日記も同様の視点から読んでみるのもよいかもしれない。
 「サンカ」と呼ばれる非定住の民を扱った本もいくつかそろえてある。サンカについては流行作家であった三角寛によって大きく注目されたが、三角の記述の誤りや捏造が指摘されるようになり、サンカ研究は頓挫してしまったかのように思われた。そうしたなか、三角の著作の真偽を明らかにしサンカ研究を正常化させたのが筒井功(二00五)である。ぜひとも両者の著作を読んでみてほしい。また清水精一による「大地に生きる」(一九八九)は大阪の現在の大阪市大病院があるあたりにあったサンカの集落にはいってサンカのことを記した貴重な記録である。瞽女やサンカなど、私たちは旅をせざるを得なかった人びとの人生を私たちは忘れてはならない。
 文化人類学者の山口昌男は生涯にわたり旅をし続けた人であった。山口は旅を人生の縮図としてとらえ、直線的で厳格なスタイルと、曲線的でルーズな道草を喰うスタイルとに二分し、後者のようなスタイルを三年寝太郎としても知られる豊後の「吉ちょむ噺」に見出す(山口、一九八一)。目標を決めて働いたりせずのらりくらりと暮らす吉ちょむは三年たつと人があっというようなことを考えたり実現したりする。のだが、それは、あくせく働き、計画通りにいかないとだダメだダメと考えてしまいがちな現代の私たちへ反省を迫るものである。山口昌男はこの二つの旅のスタイルを台本がある芝居と即興性に基づく芝居にも喩える。そして命にかかわらない限り、成り行きに任せた即興の旅を推奨するのである。
 
橋本照嵩『瞽女橋本照嵩写真集』(のら社、一九七四)/山下清『裸の大将放浪記:全四巻』(一九七九、ノーベル書房)/三角寛『サンカの社会』(朝日新聞社、一九六五)/筒井功『サンカ社会の真層をさぐる』(現代書館、二〇〇五)/清水精一「大地に生きる」(谷川健一編『日本民俗文化資料集成第1巻 サンカとマタギ』三一書房、一九八九)/山口昌男「知の冒険へ」(中村雄二郎・山口昌男『知の旅への誘い』岩波新書、一九八一)